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第4代ロスチャイルド男爵ナサニエル・チャールズ・ジェイコブ・ロスチャイルド(, 、1936年4月29日 - )は、イギリスの銀行家、政治家、貴族、慈善家。 ロンドン・ロスチャイルド家の現当主(6代目)。嫡流にあたるが、分家のエヴェリンが経営権を握るN・M・ロスチャイルド&サンズから独立し、を創設して独自の金融業を行っている。1990年にロスチャイルド男爵の爵位を継承し、1999年まで貴族院議員を務めた。現在のロスチャイルド家を代表する人物の1人。 == 経歴 == 1936年4月29日、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター・ロスチャイルドとその先妻バーバラ・ジューディス(Barbara Judith)の長男として生まれる。 イートン・カレッジを経てオックスフォード大学クライスト・チャーチを卒業する〔。これまでロスチャイルド家はハーロー校を経てケンブリッジ大学へ進学するのが伝統だったので異例のことであった〔池内(2008) p.193〕。 ニューヨークのモルガン・スタンレーに勤務して財務を学んだのち〔横山(1995) p.129〕、1963年から銀行N・M・ロスチャイルド&サンズに共同経営者として勤務する〔エドムンド(1999) p.263〕。1971年にはライフガーズに少尉として入隊している〔。また1971年から1996年にかけてはの社長も務めた〔。 ジェイコブはN・M・ロスチャイルド&サンズ内では投資部門「」を主導した〔。ジェイコブはリスクを恐れない積極的なM&Aを好んだ。彼の主導でN・M・ロスチャイルド&サンズには外部からの資金が大量に流れ込むようになり、それを元手に積極的な企業買収が行われた〔横山(1995) p.129〕。その買収の1つがだった。当時イギリス史上最大のお金が動いたといわれている〔池内(2008) p.193〕。ジェイコブの企業買収でN・M・ロスチャイルド&サンズの業績は急速に伸びた〔。 しかしN・M・ロスチャイルド&サンズの経営権は株式の60%を持つ分家のエヴェリンが握っており、ジェイコブの父である第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターは20%の株しか持っていなかったから、やがてジェイコブの大胆なM&A路線は堅実経営を好むエヴェリンから独断にすぎると批判されるようになり、N・M・ロスチャイルド&サンズの内部対立は深刻化した。この争いを仲裁するために1975年に父ロスチャイルド卿が頭取に就任する。しかし結局父は筆頭株主エヴェリンを支持したので、ジェイコブは1980年にRITを率いてN・M・ロスチャイルド&サンズを飛び出した〔横山(1995) p.129-130〕〔池内(2008) p.194-195〕。エヴェリンからは5本の矢を商標として使用するのを止めるよう求められたが、5本の矢は商標登録されていなかったので、ジェイコブはその要請を拒否し、N・M・ロスチャイルド&サンズの「下を向く5本の矢」に対する当て付けで「上を向く5本の矢」を商標にした〔横山(1995) p.131〕。 この後、N・M・ロスチャイルド&サンズはエヴェリンの方針のもと、堅実経営に戻り、対するRITはジェイコブの方針のもと積極的な投資・企業買収を推進するという対象的な道へ進んでいくことになった。RITはオークション会社サザビーズや投資信託銀行ノーザンなどに投資しつつ、事務機器、リース業、保険関連会社などの買収を進めて事業を拡大していった。1983年にはニューヨーク・マーチャント銀行の株50%を買い、さらにチャーターハウス銀行と合併し「チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行」を創設した。独立から4年にして資本金を4倍にした恰好であり、シティでも有数の銀行として注目されるようになった〔横山(1995) p.132〕。しかしこの直後から、これまで買収した企業の株を次々と売却し、現金化して貯め込むようになった。ちょうど1987年にアメリカのウォール街が暴落し、1990年からはイギリスでもサッチャー政権の金融緩和によって発生していたバブルが弾けたので、これは見事なタイミングでの撤退となった(ロンドン・ロスチャイルド家の祖ネイサンは「早すぎると思うほど早く売ってしまうことです」という遺訓を残していた)〔横山(1995) p.132-133〕〔池内(2008) p.195-196〕。 1985年にRITはダイアナ妃の父であるスペンサー卿からを96年契約で賃借し、2000万ポンドの巨費を投じてその内装を18世紀の状態に復元した〔横山(1995) p.23〕。この修復作業はダイアナ妃からも高く評価された〔モートン(1992) p.291〕 1990年に父ヴィクターが死去し、第4代ロスチャイルド男爵位を継承する〔横山(1995) p.22〕。同時に貴族院議員に列し、貴族院改革のあった1999年11月11日まで在職している〔。しかし政党には所属せず、の議員として行動していた〔横山(1995) p.22〕。 資金がだぶついていたロスチャイルド卿は、1993年から投資管理会社RITキャピタル・パートナーズと投資、会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルを創設して、投資事業を再開した。さらにアメリカにもロスチャイルド・ウォルフェンソン投資会社を創設する〔横山(1995) p.134〕。ソビエト連邦が崩壊して市場が自由化したロシアにも関心を持ち(ホドルコフスキーを参照)、1992年にはロシア・アメリカ投資会社の創設に協力した〔横山(1995) p.134〕。1994年からは投資会社ロスチャイルド・アセット・マネジメントを創設してバイオ産業に投資を開始した〔横山(1995) p.134〕。 2002年、メリット勲章の叙勲を受けた〔。 2003年から2008年までBスカイBの副社長を務めた。同じく2008年までRHJインターナショナルの取締役を務めた。 2010年11月には、の株5%分を1000万ドルで購入した。同社は2013年にゴラン高原南部に石油採掘権を獲得した〔 〕。 の統治を行う公爵(チャールズ皇太子)諮問会議の議員も務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェイコブ・ロスチャイルド (第4代ロスチャイルド男爵)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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